腐れワナビの公募メモと戯言

相崎壁際名義で新人賞に投稿しているワナビのブログ。応募するのは基本的にライトノベル系。

古い時代の書物を読むのは古人とのコミュニケーション⑤

今回で本当に最後
aizakikabegiwa.hatenablog.com

の続き。

 

「外国語を勉強すると外国人とコミュニケーションが取れるしそっちのほうがいーじゃん、古文ができても死んでしまった人とはコミュニケーション取れないし」って言う人もいるかもしれない。

でも、昔の人とコミュニケーションを取りたかったら、我々には昔の人が残してくれた文章が豊富にある。

特に歴史書とか思想書とかじゃない、何でもない市井に生きた人の日記がこんなたくさんあるのって、日本くらいなんじゃないだろうか。

第二次世界大戦中、日本兵の捕虜や死体から接収した日記の解読作業をドナルド・キーン氏がしていたらしいけど、食うに事欠くような戦場でも日記を欠かさないくらい日本人って筆まめな性格なんだろう、たぶん。

日記に限らず詩歌説話伝記小説、選択肢は無数にある。

 

そうしてちょっと古文を読むと昔の人とコミュニケーションが取れる。

昔の人は現代人とは考えも生活も環境も何もかも違う、そんな人が書いた文章です。

今の人から見たら絶対頭おかしいし意味不明だし理解不能。

それでもちょっと昔の人の立場とか思想がわかってくると、「これはこういうことだったのか」「めっちゃ不合理に見えるけど、当人にとっては合理的な判断だったのかも……?」って思えてくる。

そして意外なところで自分(現代人)との共通点を見つけたりすると「おっ」ってなって、ちょっと嬉しかったりする。

この昔の人とのコミュニケーションから、読んだ人は新しい視点が得られる。

現代人とだけ接していたらまず得られない、貴重な視点。

なんかちょっと得した感じにならない……?

 

そう考えると日本文学やってる同じ研究室のメンバーが軒並みおかしな雰囲気を漂わせていた理由もわかるというものだ……というか文学部は全体的になんかおかしい感じするしな。

浮世離れしてるというか。まあ基本教授が一番変なんだけど。

いや、実学全盛のこのご時世に文学部に進学するのがそもそもアレな感じするしな。

俺も人のこと言えないが。

あの雰囲気は、日本文学かドイツ文学か哲学か英米東洋史かわからないけど、文学部という場がそもそも新しい視点を獲得するという性質を持ってるからかもしれない。

 

そもそも古文だからって身構える必要はなくて、文法とかもインスピレーションで結構読める気がするんだよね。

とりあえずいくつか原文読んだ後に意訳か現代語訳でも読むのを続けてたら、別に文法がよくわかんなくても文章の大意くらいはつかめると思う。

本格的に研究するんなら文法もやった方が良いけど、娯楽として楽しむだけなら文法とかそんな気にしなくても良いと思う。

 

実際翻刻された文が100%正しいかって言うと微妙だしね。

講義受けてると教授が「ここ翻刻だとこうなってるけど、俺はひょっとしたらここ違うんちゃうかなあと思う、うーん、たぶん違うと思う、いやまあ絶対違うわ」とか言い出すのはたまにあるし(教授が「ひょっとしたら」とか前置きしてわざわざ話す内容は結構自信あることが多い気がする……慎重だからあんまり断言しないけど。それでもやっぱり自信があるからたまに断言する)。

翻刻されてない書物でも、普通に昔の人が書き間違え(彫り間違え?)てるとかよくある。

それでも意味は大体通じる。

現代でも文章に誤字脱字があるなんて当たり前だけど、みんな普通に読めてる。

だからそんな難しいことは気にせず、おしゃべりする感覚で気楽に昔の人とコミュニケーション取ってみたらどう? みたいな話でした。

ほら、本だったら実際に予定をすり合わせて会う必要もないし、自分の時間があるときに少しずつコミュニケーションが取れる。

たぶん本物の人間より楽!

コミュ障でも全然問題なし!

 

長くなりましたが、ここまで読んでくれた人はありがとうございます。

まー単なる俺の戯言なので、「こういう考え方をする奴もいるんだな」くらいにとどめておいてもらえると幸いです。

結局古い文章を読むのって、それが楽しいからだと思うんです。

新しい視点とか抜きにして、単純に古文にだって面白い文章が多いよ!

 

 学生時代本当に不勉強で今でも全然勉強してない俺が偉そうなことを書きましたが、ひょっとしたらこれを読んで「今までにない考えだったなー」と思ってくれる人がいるかもしれない。

もしそうなればこの上なく嬉しい。