腐れワナビの公募メモと戯言

相崎壁際名義で新人賞に投稿しているワナビのブログ。応募するのは基本的にライトノベル系。

小説書いてるとよく描写が抜ける

小説中の描写の話

当たり前なんだけど忘れがちなことに、「読者は作者じゃない」ってことがある。

何言ってんだこいつはって思われるかもしれないけど、つまり

 

「自分が書いた小説の読者は、作者が頭の中で考えた情報を知ることができない。読者がが得られる情報は、小説中に書かれていることだけ」

 

ってこと。

小説の作者と読者には明確な情報の格差がある。

当たり前と言えば当たり前なんだけど、本当に結構忘れがちなことだ。

実際ライトノベル編集者の庄司智さんが、ツイッターでこんなことをおっしゃっていた。

 

 

「いつ/どこで/誰が といった、主語などの情報がわかりづらい」「指示代名詞が多すぎる」……うーん、耳が痛い。

最後の「書き手さんの頭の中には情景が広がっていても、読む側は状況を思い浮かべるために頭を使わなきゃいけない」という部分も本当にそうだな、と思う。

 

自分が書いた文章を見返してみると、意外とそのシーンがどこで、その場には誰がいて、何時くらいなのかっていう説明が抜けていることが多い。あと天気。

まあ必ず書かなければならない、ってわけでもないと思うんだけど、書かない必然性が無ければとりあえず書いておくのが親切っていうもんだろう。

読者が小説のシーンを想像するには、ある程度情報があるに越したことはないんだろうし。

何から何まで説明するとくどくなっちゃうというのも問題だけど……。

そこはまあ、「説明」じゃなくて「描写」をするように心がけるのと、情報を出すタイミングを計算しなきゃいけない。

単調な説明が何行も続くとダレるけど、キャラクターの心情に絡めたりセリフに混ぜたりすると、格段にリーダビリティが上がる(と思う)。

 

結局のところ、小説の作者は、別にその小説を読まなきゃならない義務があるわけでもない読者に、どうにかこうにかして「お、この小説面白いじゃん。この先も読もう」って思わせなきゃならないわけで。

その小説がいろんな説明を省きまくって、作者の書きたいことだけを書いたものだったとしたら、読者が読んでくれないのも当然。

作者は読者のことを考えて、少しでもその想像を助けようと努力しなきゃいけないんだろうな。

 

頑張ろうー。